中森明菜
本名:同じ
生年月日:1965.7.13
血 液 型:A
出 身 地:東京都 清瀬市

1985年
1985.01.26
主演映画「愛・旅立ち」劇場公開

1985.03.08
ミ・アモーレ [Meu amor é...]

- ミ・アモーレ[Meu amor é...]
- ロンリー・ジャーニー
本格的ラテン・ミュージックを製作したかったが、当時の世相を考慮し、歌謡曲寄りの作品として製作
レコード大賞受賞
1985.04~05
イベント「AKINA LAND 1985」
1985.04.03
BITTER and SWEET

- 飾りじゃないのよ涙は
- ロマンティックな夜だわ
- 予感
- 月夜のヴィーナス
- BABYLON
- UNSTEADY LOVE
- DREAMING
- 恋人のいる時間
- SO LONG
- APRIL STARS
1985.05.01
赤い鳥逃げた


- 赤い鳥逃げた
- Babylon ラテンロングバージョン
ミ・アモーレの別歌詞バージョン 12インチシングル
1985.05.01
はじめまして中森明菜

デビュー直前。
デビューシングル「スローモーション」のレコーディングのため、ロサンゼルを訪れた時の様子を収録。楽しげに。
嬉しそうに。
遊園地で遊ぶ姿は普通の少女ですが、はっきりしっかり発言している姿に意志の強さを感じる。1985.06.19
SAND BEIGE -砂漠へ-

- SAND BEIGE -砂漠へ-
- 椿姫ジュリアーナ
当時、駆け出しであった、作詞の許 瑛子、作曲の都志見 隆が「中森明菜に唄わせたい」とワーナー・パイオニアに持ち込んだ作品だそう
1985.07~10
コンサート・ツアー「BITTER AND SWEET」
1985.08.10
D404ME

- ENDLESS
- ノクターン
- アレグロ・ビヴァーチェ
- 悲しい
浪漫西 - ピ・ア・ス
- BLUE OCEAN
- マグネクティック・ラブ
- STAR PILOT
- モナリザ
- ミ・アモーレ [Meu amor é...]
アルバムタイトルは“ディー・よんゼロよん・エム・イー”コンセプト・ストーリーに出てくる倉庫の番号説と“ダシオシミ”説がある。
1985.10.09
SOLITUDE

- SOLITUDE
- AGAIN
タケカワユキヒデ作曲
1985.12.10
1985 SUMMER TOUR BITTER & SWEET

ライブビデオ
1985.12.21
MY BEST THANKS

- ありふれた風景
- Don't Tell Me This Is Love
- 予感
完全限定盤 グラフィカル・ディスク
1985.12.24
VINGTANS

ライブ写真集
1985.12.31
「ミ・アモーレ」で日本レコード大賞を当時史上最年少20歳で受賞
1986年
1986.02.03
DESIRE-情熱-

- DESIRE-情熱-
- LA BOHEME
スタッフはカップリングの「LA BOHEME」をシングルにという意向だったが、明菜さんの強い希望で「DESIRE」をA面に。結果大ヒット
この年のレコード大賞を受賞し、中森明菜の代表曲の一曲となる
また、着物を斬新にデザインした衣装が注目を集め、ニュー着物ブームを巻き起こす
1986.04.01
BEST

- スローモーション
- セカンド・ラブ
- トワイライト -夕暮れ便り-
- 北ウイング
- サザン・ウインド
- SAND BEIGE -砂漠へ-
- SOLITUDE
- ミ・アモーレ [Meu amor é...]
- 飾りじゃないのよ涙は
- 十戒(1984)
禁区 - 1/2の神話
- 少女A
ベストアルバム
1986.05.26
ジプシー・クイーン

- ジプシー・クイーン
- 最後のカルメン
1986.07~10
コンサート・ツアー「LIGHT & SHADE」
1986.08.11
不思議

- Back door night
- ニュージェネレーション
- Labyrinth
- マリオネット
- 幻惑されて
- ガラスの心
- Teen-age blue
燠火 - Wait for me
- Mushroom dance
ボーカルも音楽を構成する音であるととらえ、溶け込ませる斬新な試みをみせた作品
現在ではクラブ・ミュージックの先駆けとも言われている
1986.09.25
Fin

- Fin
- 危ない MON AMOUR
衣装で着用したソフト帽が流行
あるメーカーでは売り上げが2割以上も伸びたという
1986.11.10
ノンフィクション・エクスタシー

- ノンフィクション・エクスタシー
カセットの売り上げの下降打開に一役かおうと、カセットのみ発売
1986.12.24
CRIMSON

- MIND GAME
- 駅
- 約束
- ピンク・シャンパン
- OH NO,OH YES!
- エキゾティカ
- モザイクの城
- JEALOUS CANDLE
- 赤のエナメル
- ミックジャガーに微笑みを
竹内まりや、小林明子等、女性作家の楽曲のみで構成。
「駅」、「OH,NO OH,YES!」は製作者である竹内まりがセルフカヴァー。
のちに有名シンガーYが歌唱法、曲の解釈について、上から目線のイチャモンをつけた。
賛同するかどうかが人それぞれであるように、歌唱法、曲の解釈は作者の元を離れて、それぞれにあると思う。
発想を広げ、いかに自分のものにできるかが、シンガーの力の見せ所だと思う。
自分と解釈が異なるからといって、イチャモンをつけるとは、世間の評価は高いけど、大したことないなと私は思う。
これも私の一個人の意見。どう思うかは自由よね。
1986.12~
Meiji AKIN LIVE
1987年
1987.01~03
Meiji AKINA LIVE
1987.02.04
TANGO NOIR

- TANGO NOIR
- MILONGUITA
レコーディングはわずか28分で終了
華麗な衣装とタンゴを取り入れた振り付けが魅力的
1987.04.15
TBS系ドラマ ベスト・フレンド O.A.
1987.05.01
CD'87

CDのみ発売
レコード主流だった当時、CD売り上げに貢献しようと企画されたアルバム
1987.06.03
BLONDE

- BLONDE
- 清教徒(アーミッシュ)
エルメスの限定販売のスカーフで製作したという華麗な衣装が話題に
また、カップリングの「清教徒(アーミッシュ)」の作曲は当時デビュー直前だった久保田利伸
1987.07~10
コンサート・ツアー「A HUNDRED days」
1987.08.25
Cross My Palm

- CROSS MY PALM
- POLITICAL MOVES
- SLAVE FOR LOVE
- EASY RIDER
- MODERN WOMAN
- THE LOOK THAT KILLS
- SOFT TOUCH
- MY POSITION
- THE TOUCH OF HEARTACHE
- HOUSE OF LOVE
- NO MORE
- HE'S JUST IN LOVE WITH THE BEAT
全曲英語詩 全米でもリリース
1987.09.30
難破船

- 難破船
- 恋路
作詞・作曲の加藤登紀子からじきじきに唄ってほしいとの申し出を受け、大変感激したという
後に歌番組のインタビューで加藤登紀子さんが語ったところによると、マネージャー等を通さず、直接カセットテープを渡したとのこと
申し出を受ける答えの代わりに加藤さんのコンサート会場に明菜さんから花が届いたという
1987.12.21
Cross My Palm

ミュージックビデオ 映画「ナイン・ハーフ」を意識した映像作品。夢を叶えるため、ニューヨークへやってきた女性の栄光と挫折を描く
「てのひらは不思議な形をしている。夢を捕まえるてのひらに夢がこぼらていく指の隙間がある…」
これはこの作品冒頭の台詞だ
後に女性歌手が全員歌姫と呼ばれる時代が訪れるが、ひとりの歌姫が自らの作詞として発表した歌詞に使われている
パクリではなく、オマージュであったと思いたい。
1987.12.24
Cross My Palm
写真集「Cross My Palm」(ほんの木) 出版