歌手・中森明菜

僕は中森明菜さんのファンです

僕にとって、そして多くのファンもそうだと思うが、一番の魅力は、楽曲毎に主人公になりきり表現するところ

ただ気持ちだけなりきるのではなく、明菜さん自身がイメージした主人公を表現するには、

 自らのどの音域の声で、
 どのように歌唱すればいいのか、
 真摯に向き合い、
 表現するところ

レコーディングで限りなく完成に近づけ、その後のテレビ出演やライブでも、より完成に近づけようと努力するところ

歳を重ねる毎にその表現の幅は広がっていく

高音で表現する、低温で表現する、声を張って表現する、囁くように表現する、カスレた声で表現する

もしくは、

一曲の中で、ここぞと言うところで、これらの表現を使い分ける

それができるのが中森明菜だと思う

以前、明菜さんのレコーディングスタッフが次のように語ったのを見たことがある

「何度か録音し、良い部分をつなぎ合わせるのが一般的だが、彼女の場合はそんなことをしてしまうと、つながりがなくなってしまう」

確か、こんな感じだったと思う。

明菜さんの楽曲の中では、「愛撫」が判りやすいような気がする

同じ音程、同じ歌詞であっても、最初の歌詞部分は抑え気味に。次の同じ歌詞、音程部分ではビブラートを入れたかと思えば、歌詞の流れに合わせて、また抑え気味にと

これを一箇所のサビ部分でやってしまう

楽譜上では同じ音程

そして、二回目のサビ部分は、最初のサビよりも少し気持ちが高ぶったかのように

曲が終盤へ向かうほど、楽曲に合わせて高ぶっていく

一曲通して聴くと明らかに多彩な表現をしている

これが気持ちの高ぶりによる“天性のもの”なのか、“計算しつくされたもの”なのか、判断は難しい

よく「憑依型」などと言われることもあるが、考え抜かれた表現のようにも思える

おそらく両方なのだと思う

全盛期と言われる80年代に比べ、「声がカスレた」だの、「声量が落ちた」だの、簡単に言う方も多い。

もちろん、10代、20代と全く変わりないなどと言うことはありえない

しかし、それは、現在の中森明菜はもちろん、全盛期と言われる時代から、本当に中森明菜を聴いてきた方ではないと思われる。

しっかりと聴いている方は、決して、そんな感想は抱かないはずだから

だいたい、2、3年で極端に声がカスれる訳がない

2、3年のスパンでみて、同時期にリリースされた楽曲の中には高音で歌唱している楽曲もあれば、中低音で、時々カスれた声で歌唱している楽曲もある。かと思えば、声を張って歌唱しているのもある

ようするに、聴く者が、その楽曲の主人公のバックグラウンドまでイメージし、明菜さんが楽曲の主人公をどのような人物とイメージしているかを想像する

聴く者のイメージと、明菜さんの表現が合致すれば、納得できる歌唱であるはずなのだ

もちろん、明菜さんの歌唱によって、主人公の人物像が導かれる場合もあるだろう